若手作業療法士の思うこと(自己紹介)
こんにちは! 初めまして 「作業療法士」として病院で勤務している者です。
タイトルにある通り、゙若者゙ とありますが現在は24歳でこの春でリハビリテーション部の作業療法士として勤務4年目になります。
このブログを開設した目的としては、日々この仕事で働いていて感じた事がたくさんあるので思いつく限りつらつらと書いていきたいと思います。
あと、若者の甘い視点でも書いていって共感を得られたらなと...
本日の内容はこちら!!
- そもそもリハビリの仕事って?
- 私がこの仕事に就いた理由+自己紹介
ここで、「え?リハビリって仕事名じゃないの?作業療法士てなに?」と思った方が多いかと思います。
世間一般では、どちらかといえば「理学療法士」の方が知名度が高いかもしれません。ドラマやニュース番組で取り上げられているのを見た覚えがあります。
ここで理学療法の定義をみてみましょう。
「理学療法」とは、「身体に障害のある者に対し、おもにその基本的動作能力の回復を図るため、治療のための体操とその他の運動を行うほか、電気刺激、マッサージ、温熱その他の物理療法を行うこと」をいいます(理学療法士及び作業療法士法第1章総則第2条1)。
次に、作業療法の定義をみてみましょう。
「作業療法」とは、「身体又は精神に障害のある者に対し、主としてその応用的動作能力又は社会的適応能力の回復を図るため、手芸、工作その他の作業を行なわせること」をいいます(理学療法士及び作業療法士法第1章総則第2条2)。
そうなんです、よくわかりにくいんです 笑
看護師と同じように国家資格でして、同時期に出来た仕事です。
実際の所、働いていてもすごく大きな区分はなく協力し合って働いている感じです。
専門学校の入学時に言われているのであれば、理学療法→寝返りや起き上がりの基本動作と歩行 作業療法→精神面と日常生活動作 を視る なんて言われていますが、その定義はすごく曖昧なところです。
あまり深く話しすぎると楽しくないので、私がこの仕事に就いた経緯を簡単に紹介させてください。
まず、私の母親は私が2歳の時「多発性硬化症」という難病にかかりました。一度は、生死をさまよいましたが軌跡の回復を遂げて一命を取り留めました。
両足の麻痺は残っており、今も車いす生活です。しかし、20年経った今、正社員として企業で働き 私という子供を立派に成人まで育ててくれました。
私は、高校性の時に感じました。母親が2歳の時に死んでいたら? 後遺症で寝たきり生活だったら?
こうやって母が、元気に生活できているのが当たり前ではないと感じたのです。
多発性硬化症の方は、世界に約250万人 日本に約1万3000人程度いらっしゃるそうです。この病気に罹患した人たちはどういった人生を送っているのか・・・
とても気になりました。 この病気だけではなく、ガンや脳卒中になった方々が一命取り留めたとしてその後は在宅などでどういった生活を送っているのか。
そこで、調べて出てきたのがこの「リハビリテーション」の仕事でした。詳しく調べていると、日常生活動作を訓練するこの「作業療法士」が出てきたのです。
これだ!と思い、専門学校に入学し...現在に至ります。
長々と語ってすいませんでした笑 私の経緯が少しでも伝われと思い、書かせていただきました。
私自身の自己紹介とすると、昨年の秋に結婚し看護師の妻と二人暮らしです。
現在、総合病院で勤めさせていただいておりまして 回復期リハビリテーション病棟を3年で春からは急性期病棟で勤めさせていただく予定です。
ですので、ペーペーの語ることなのでベテランセラピストの方々は鼻で笑ってしまう内容かもしれませんが温かい目で見守っていただければ幸いです。
次回からは、専門的な内容か日々の感じた事を書きたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。